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科学とは宗教の一種である

こういうことはなかなか学校で教えてくれないし
プロの技術者の中でも分かってない人が結構いる
科学的に証明されたことしか認めない、なんて
訳の分からないことを宣う人がいて困る

これはもう、はっきりきっぱりと言い切る
「科学とは宗教の一種である」と。


普通の人が想像しやすいように
「万有引力の法則」を例に出して考えてみましょう

これは同じ意味で「重力がある」にも繋がります。
ニュートンさんはリンゴが木から落ちることを見て
この法則を発見したと言います。

地球が人間を引っ張っているから体重もあるし
リンゴも木から落ちる重力がある、という法則ですね

では、質問です。

なぜ、万有引力の法則なんですか?

これを言われるとキョトンとしてしまうでしょう。
質問の仕方を変えます

なぜ、万有斥力の法則はないのですか?

世の中には万有引力の法則と呼ばれる法則があるようですが
なぜ万有斥力の法則はないのでしょうか?
別に斥力でもよかったと思いますけど、物理系はなぜ引力なんでしょうか?

誰か証明できますか? してますか?
「万有引力の法則であって必然である」と


さらにもう一つ質問をしてみましょう

「落ちる」って何ですか?

ニュートンはりんごが木から「落ちる」ことを見て
万有引力の法則を発見したそうですが、「落ちる」とはなんでしょう?

今の科学で、人間の視覚は
目に入った画像を上下逆さまにした虚像の光が
眼球の奥にある焦点に当たることで
脳内で画像を認識していることがわかっています。

さて、そんなことも知らずに昔に勝手に決めた
「落ちる」という認識を元に発見された
万有引力の法則は果たして妥当なのでしょうか?

さらに、蜃気楼やテレビのCGや特殊メイクであったり
人間の視覚は案外あっさり騙されますよね
あなたが今、見ている画面の文字も「本物」なのでしょうか?

では、質問を繰り返しましょう

「落ちる」って何ですか?


科学を科学的に証明しようとすればするほど
科学は証明できない、という矛盾に陥ってしまいます。

最後は、えい、っと決め付けするしかないのです。
そういうものだと納得するしかないのです
自分が観測したことを信じた上で、話を展開するしかないのです。

だから、言い切ります
科学は宗教の一種である」と。

これを機に一度、全てを疑って自分で考えてみることをお勧めします
何が真実で何が嘘なのか
何が可能で何が不可能なのか
何が計算できることなのか何が計算できないことなのか

意外と「常識」だと思っていたことが怪しいのがわかります。
一つだけ言えるのは、大切なのは「考え続ける」ということです。
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科学が○で宗教が×ではない

結局は、科学か宗教かではなく、科学も宗教もなのだと思います。

もともとヨーロッパではローマカトリックの絶対的な支配のもと、そこから外れたものはすべて「異端」として排斥されてきたわけです。

そして、近代に入ってから、デカルトの「二元論」に基づいて科学と宗教が分けられたわけですが、その時にいわば科学が○で宗教が×こういう風に、決めつけられたことが、問題だったと思います。

結局、何かを「信じる」という点においては、科学も完全に「宗教」ですね。いわゆる科学者と言う人たちは「神仏」の変わりに「科学の法則」を信じているのですから。

そして、それに反するものを「異端」として排斥する。

かつてのローマカトリックの聖職者の様に。

それに気がついて、科学と宗教のバランスと両立をどうとるかが、今後必要になると思います。

定義

興味深く拝見させていただきました。

水を差すようで失礼ですが、
まず最初に「科学とは」「宗教とは」「常識とは」という定義をしないと
「科学とは宗教である」「常識を疑え」と言ったところで、厳密には何も言っていないことになっちゃいますね。

(もっとも、定義にも定義が必要で、重ねてゆくと最終的に「無定義語(=定義無しのままで『みんな知ってるよね!』として使う語)」を用いるしかなくなってしまいますが)

ホーシャノー騒ぎやらなにやら、あまりにも、なんにも考えてない輩共が右往左往する昨今、「考えろ、考え続けろ」は、強く同感します。

No title

万有引力云々のあたりの話ですが、科学の法則とは経験則が基礎にあり、従って万有引力が存在する一方、万有斥力は存在しないということです。
科学の法則には、絶対不変の原則は存在しません。ですから証明できないことが存在するのも当然です。
昔から言われていることですが。

コメントありがとうございます

まとめて返させて貰います

>それに気がついて、科学と宗教のバランスと両立をどうとるかが、今後必要になると思います。

理解して貰って嬉しいです

>厳密には何も言っていないことになっちゃいますね。

この辺の話になるといくらでも屁理屈が言えてしまうので
「頭を柔らかくして考え続けることが大切」で止めさせて貰います

何がどうあっても、我々は生きていたいですから。(これはいいですよね)
その現実を捉えるために使えるものは使いましょう。使えないものは捨てましょう。
そんなところですね

>科学の法則には、絶対不変の原則は存在しません。

はい、その通りです。ですが、
科学は絶対不変で科学で証明できないものはない、と
考えている層がそれなりにいるのが現実です
それへの対応として書いてみました

No title

歴史を見てみましょう。20世紀前半、19世紀後半以前には「science」なんて言葉がありませんてせした。なので、それ以前に科学者はいません。
 で、科学を昔へさかのぼってみると、「科学」(と、仮に呼びます)としたことは、神の存在証明でした。要は法則こそ、神が作った証拠である、と言う想いがあったからでした。結局は、錬金術から、「科学」は、始まったと言えるでしょう。そう考えれば、答えも自ずとでで来ると思います。

ニュートンは錬金術師でしたね

>錬金術から、「科学」は、始まった。
元々、万有引力の法則を発見した、アイザック・ニュートン自身錬金術師でしたね。

そして、化学の基礎は、ほとんど錬金術の研究の中から生み出されています。

そういう意味から言うと、某有名教授が目を三角にしてオカルト的なものや宗教的なものを批判するのは、ある意味滑稽なのですが。

あと、宗教というのは神仏に対する信仰という要素を切り捨てると、いわば人間が人間として生きるための「OS」の役割を、果たしていると言えるでしょう。

今の世の中では、パソコンは言うに及ばず携帯電話すらもOSで動いています。
ならば、人間はどんなOSで動くのか、その点も考えなければならないと思います。
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